世界は推しでできている

若手俳優を推しているおたくの独り言墓場

おたくは舞台になり得るか?

推しごとはないのに多忙だとなんだか悔しく感じてしまうあたり、性根が変色して腐りかけている気がします。

 

先日ツイッターでみかけた、とある舞台のあらすじが怖すぎる!的な話題。

主人公が若手俳優のリアコ且つガッツなおたくで、もっと特別な存在になりたくて…というストーリーで、業界の禁忌に踏み込む的な煽りの作品のアレですね。

 

周囲のワカハイおたくではない人々は、この話題に対して「怖い〜」的な発言をしていました。その心を推測で翻訳すると「(こんな風に俳優追っかけちゃう人いるんだ)怖い」とか、「(え?もはやストーカーと何が違うの?)怖い」のニュアンスに寄っている気がします。

 

一方、これで息の根止まりそうになった若手俳優おたくのみんなー?はい、挙手ー!!!むしろ息してるー???

そんなおたくばかりでないのは百も承知ですが、少なくとも日々推しのネットストーキング的(あやふやにしておきますが)なことに勤しんでは、このカテゴリーを読み漁って全力で頷いたり落ち込んだりしているおたく業のみなさんの中のある程度の人数が、この作品のあらすじに心臓がぎゅっとなったんじゃないかと思うんです。

 

私はなりました。

私はリアコでもガチ恋でもありません。(両者に差があるのかもわかってません)

いまは私生活と貯蓄とのバランスもあるので、全通もしていません。プレ入れても高額は誕生日くらいです。

この舞台の主人公に比べたら、恋もしていないし、金額もかけていない。

にも関わらず、肝が冷えた思いをしたのは、あらすじの後半部分。

もっと「特別」を求めてしまう主人公と自分が、シンクロ〜あれはシンクロ〜なゴールデンペアばりに重なってしまったんだと思います。

 

ここで、過去エントリーも読んでくださっていて記憶力が天才的な方がいらっしゃったら、疑問を抱くかもしれませんね。

あれ?筆者は推しくんの市場価値が上がって好きな仕事できるようになってくれるのが一番っていってなかった?そのためにお金落とすって割と何度も書いてなかった?

おっしゃる通りです。

その旨を何度か書いてきました。本心です。

なのに、「特別になりたい」という部分で動揺してしまうという、ATMおたくとしては失格な事態に陥っています。

 

推しくんのTOになりたいわけでもない、推しくんのオキニになりたいわけでもない、ただ推しくんの頑張って輝いている姿をなるべく現場で見ていたい。

それだけのつもりでいるのに、やっぱり心のどこかで、推しくんに「よく頑張っているおたく」「たくさん応援してくれてるおたく」そんな風に“特別”だと思われたい欲望が潜んでいるんだと思い知らされました。

 

舞台があれば次元に関わらず複数入り、イベントだよ〜握手会だよ〜と言われればホイホイ足を運び、現場のたびに手紙やプレを用意し、SNSが更新されると一喜一憂する。

そうやって特定の人を応援する生活をしていると、おたく側の生活や思考の中心がその人に占められます。そんな日々を送っていると、心の中には大なり小なり、特別な推しの“特別”ではないにしても、すれ違うその他大勢とは違う“何者か”になりたい欲が生まれてしまうものなのかもしれない。

そんなことをぼんやりと考えていました。

 

もっと楽しくネガにならず欲望にまみれていないおたくになるには、思い入れの強すぎる固定の推しを作らない、もしくは単推しではなく複推しにする。さらにほかの趣味も作って若手俳優以外に時間もお金も使う。このあたりでしょうか???

まあ!これができてたら!おたくしてないですわな!!!

推しくんよ!!!ガチで特別になりたい系のおたくではないから安心してよね!!!でもいつもなっがい手紙入れてくるおばちゃんだな〜くらいのレベルでいいから、その他大勢の通行人とは区別されているとめでたい気分になれるのでよろしくね!!!

 

ということで、そこそこしんどくおたくしている身としては、その題材で舞台を作ることにどんな意味があるのか…この舞台のエンディングはどういう方向にするのか…色々きになるところですが、正直そっとしておいてくれって感じです。

観る予定はないのですが、色々考えるきっかけをありがとうとだけ言っておきます。

観劇した方はぜひ感想を…!!!