世界は推しでできている

若手俳優を推しているおたくの独り言墓場

その原作、舞台化するってよ

若手俳優おたく界隈の皆様、お疲れ様でした。ひとまず出口の見えない暗鬱とした気分には、これで一旦区切りがつきましたでしょうか?

今後戦地に赴く方々に労いの気持ちを手向けつつ、こちらは全てが杞憂に終わり…ガチ杞憂だったな!!!と笑っています。

出たら死ぬし可能性として完全に圏外であることは自覚しつつも、疑念が拭いきれていないのが、先日のエントリー内のこの一文。 

あと、ビッグすぎるコンテンツに突然出演発表とかもやめてね!!!我々にはまだ時期尚早であるぞ!!!心臓とまりかねん。

推しエゴサをするその心とは - 世界は推しでできている

 もはや今となっては(笑)くらいつけておきたいくらいだし、「オマっ!自分の推しの界隈での立ち位置くらい把握しとけよ!なんて脳内ドリーマーなんだよ!」とあの日の自分に喝を入れたい思いでいっぱいです。

 

なぜ刀に推しが出るのが嫌なのか。

これについては、もうこの1日でたくさんのエントリーがあって、ほぼほぼまるっと同意ですので、割愛しますね。

京が一、推しくんが出ることになったとしたら(違う世界線に行く必要があるので、まずは某ガジェット研究室に入ってラボメンになるところから始めなくてはならないのでとてもとても大変な道のりを歩まねば実現しないのですが)、公演前に50000回拝んで100000回死にたくなって、公演期間中はひたすらに拝みながら3時間弱を終え、劇場に入れない日にはフライハイできそうな崖に足を運び、公演期間の後にやってくるクソ新規キャラ同一視自称推しくんオタクへの対スルー力を鍛えるべく仏像になる修行をしながら、同時にアサシン訓練を受けることになります。

ご覧の通り、控え目に申しましても、地獄をみることになると思います。

直近1年くらいは、出たことによって得られたメリットとこれらの死にたくなる事象とを天秤にかけて、はたしてこれは幸せなことだったのだろうかと自問自答すると思います。

3年後くらいに、刀のおかげでいまこんな仕事も出来ているのかもしれないね、刀ありがとう、などと思えていたら、個人的に考え得るサイコーハッピーエンドじゃないかなと思います。

(注:推しくんは刀にでません。でる気配も微塵もございません)

 

 

という文字数を割いた茶番は置いておきまして。

昨今の2.5次元舞台戦国時代において、「舞台化反対」というスタンスを取ることの生き辛さについて最近考えています。

 

そもそも前提として、舞台化反対のスタンスでいることを“生き辛い”だろうと感じている時点で、私は完全に役者側のおたくの思考ですし、この前提の時点で二次元側のおたくの方々とは共通認識を持てないということになります。

前提の時点で、共生の道は閉ざされています。そうです。きっと共に生きるなどというキレイゴトは結局は成立しないのだと思っています。

それでも、この世の中をみてください。舞台化はされるのです。

イケメン若手俳優が出演できそうな、そこそこ成功した女性向けコンテンツ(実際は女性向けでなくとも、舞台化すると女性受けがよさそうなものも含め)は、もれなく舞台化するのが、今の世なのです。

10年くらい前なら、舞台化する原作は本当に厳選されたであろう作品のみでした。

あの時代なら、「私の愛する作品を舞台化なんてしないで」というのも、原作愛があればこその至極当然の論調かなとも思えたのですが、近年は事情が違います。

繰り返しになりますが、舞台化してしまうご時世です。

なので、はなから「これもどうせ舞台化するんでしょ」くらいに思っておいたほうがいいんじゃないかしら。などと、ふざけたことを提唱したいのですが、所詮若手俳優おたくの言っている戯言なので、声を大にして言うことはやめています。まだ推しくんの公演控えているので死にたくないのです。刺されたくも呪われたくもないのです。

 

舞台化してしまうこと自体は諦めてしまうべき、舞台化するものとしてコンテンツを享受しておくべき。

そう思いますが、これは2.5次元化の難しいところであり、常々論点になっていることでもあるんですが、問題はきっと舞台化自体ではないんだと思うんです。

舞台化に付随する、キャスト、キャラビジュアル、キャラのハマり度、制作側のキャラ解釈、制作費の規模、脚本演出等々。どれかひとつでもしっくりこないと、原作おたくの方々の薪に火をくべてしまうんじゃないかと、色んなおたくの阿鼻叫喚を眺めながら思っています。

逆にそれらがしっくりきたり、あるいは多少違和感がありつつも慣れてしまってそれが普通に感じられるようになると、そこそこ舞台化も受け入れられるんじゃないかと思うんです。

 

ここまで書いておいてなんですが、極論をいうと、「受け入れてくれなくて結構」です。情報解禁の時点でキャストを叩いたり粗探しをしたり、ぶさいく連呼するような原作オタクは、劇場の雰囲気も悪くなるのでわざわざ来ていただかなくてけっこうです。おうちで原作愛でてろYOと思っています。

好きの反対は無関心です。ですので、絶許ならもう完全なる無関心を決め込んで欲しいんです。キャストもキャラビジュも放っておいてくれ!!!

原作オタクの方々も、舞台化も好きな作品のメディアミックスというひとつの延長線上の形である以上、無視はできないという葛藤を抱えているかと思います。それゆえの、もろもろの文句だとは思うんですが…。(わかってるよ!わかってるけど!推しくん出る作品でそういうナンヤカンヤは繰り広げてほしくないんだよ!!!)

どうせ観劇して手のひらクルーするなら、初動の叩き行為はもうちょっと自重して下さいませ。役者も人間なので、作品名や役名で検索したりもするでしょう(推しくんはきっとエゴサしている)。ときにはその酷い発言も目にしていたりするのです。アンチの暴言と分かっていても、人間なので傷つくと思うんです。最低限そのへんの対策はして頂きたい。

そもそも観劇もしないなら、一銭の得にもなりませんので、どうぞこの橋は渡らずに静かにお引取り下さい。

 

どんなに頭を捻ってみても、和平協定を結ぶ道は見つかりませんでした。互いに謙虚な気持ちをもちつつ、お互いの領域に敬意を払いながら行き来するしかないんだろうなあ。

理想は本当これです。原作リスペクト、役者リスペクト。双方これができたら結構のーべる平和賞です。

(原作リスペクトは叫ばれている気がするのに対して、役者は使い捨ての操り人形のように扱われている節があり、ここ数年釈然としない気分です。役者はときにはキャラも演じるけども、キャラを演じるためだけの存在ではない、と思うのです。若手俳優は軽視されるが故に若手俳優なのでしょうか…)

 

ところで、舞台化の場合、その上演期間が終わればすべての問題が収束するというワケではないのが難しいところ。

役者は次の仕事に向かい、原作はそのまま進みます。表面上はそれぞれの檻に帰るといった感じになりますが、舞台化を通じてキャストが気になった、また反対に舞台化を通じて原作にハマった。この層は一定数いますよね。

詳しく掘り下げてくださっているエントリーがカテにありましたので、ここでは私の考えだけさらっと触れようかと思います。

 

舞台化を通じて原作から推しくんに興味をもってもらうのは大変嬉しいですし、人気でメシを食う職業としても、そうやって1作品ごとにファンを増やしていくのが正解だと思います。

ただ、「○○(キャラ名)△△(推しくんの名前)」的なキャラ名と役者名を混ぜ合わせたうえに、それを別作品や別現場にまで持ち込むようなモラルに欠ける方は遠慮したいです。

加えて、自称ファンにも関わらず現場に行かず、本番前の推しくんに「行けないけど~」というテンプレクソリプ推しくんのテンションを下げる輩もご遠慮願いたい。

普通にファンになってくれるなら、どこが入り口でも大歓迎です。色んな作品の推しくんも観たうえで、その入口となったキャラを演じている推しくんが一番好きっていうのも全然批判する要素はありません。

その好きなキャラを演じている推しくんを2次元のキャラと切り分けて考えてくれる、1円以上はお金を落として下さる、推しくんの活動の邪魔とならない素敵な推しくんの新規おたくよいでよ!!!!!!!!!!!!!!!母数を増やしたい!!!!(最近の悩みは完全にコレです。おたくってどうやったら増えるのだれか教えてください)